その美しさを描けない

割り切れないshotにgoodきてる

舞台 『ラヴ・レターズ』~2016 Winter Special~を観劇しました

 

今週のお題はバレンタインデー、残念ながら私たちは両極に位置する関係なので書くことが無い。・・・・・・・無い・・・。

せっかくお題を使ってブログを書こうと思ったのにこの始末。まだ節分のほうが書くことがあったかもしれないぞ。嘘。

少しふてくされていたらなんとスケジュールがぽんっと空いた。神はいた。そんなわけで私は観劇を諦めかけていた舞台のチケットを取り、渋谷まで足を運んだ。

というわけで今年の現場初めとなった舞台「ラヴ・レターズ」の感想です。ネタバレありです。

 

ラヴ・レターズを知ったきっかけは今回植田圭輔さんが出演されたことだ。私は舞台弱虫ペダルのファンである。素晴らしい作品で、そこから役者さんのファンとなった人は少なくないだろう。私もその1人だ。そして原作の無いストレートの舞台も観に行くようになった。趣味が増えて楽しい限り。

 

ラヴ・レターズは朗読劇である。幼馴染のアンディとメリッサ、2人が約50年間交わし続けた手紙を役者さんが読み進めていく。舞台上には椅子が2脚と机が1つ。机上には役者さんのための水が置かれていた。特別なセットや演出は無かった。

静かな舞台のため上演中の入退場も控えるようにとの徹底ぶり、ピンと糸が張ったように緊張していた。客席は終始しんとしており、私は何回も携帯の電源を確認した。

照明が落ち2人が舞台に登場。植田さん演じるアンディは小学2年生、藤原さんが演じるメリッサの誕生会の誘いを受けると彼女の母に宛てた手紙を読みだして始まった。

 

上演後、私はスケジュールを空けてくれた神に改めて感謝した。

今の時期にぴったり。余韻に浸りつつ劇場を出て、冷たい空気の中彼らに思いを馳せて歩くことがとんでもなく贅沢な時間だった。夏にも上演されるようなので夏には違う気持ちになるのかもしれない。

 

最も突き刺さったシーンは第一幕の最後。

思春期真っただ中の2人は久しぶりに直接会いデートするが、結局なにもうまくいかなかったことがその後の手紙から分かった。

メリッサは手紙の中の自分たちと現実の自分たちにギャップを感じたと記し、それがとてもかなしく響いた。

アンディの肩越しに手紙の中の彼を探していたとメリッサが言った時、どうしようもなく涙が出そうだった。実際に会ったアンディは彼女の求めたアンディじゃなかった。メリッサは彼の虚像を作り出してしまっていたと苦しむ。2人は思春期にほぼ会うことはなく、手紙での情報が彼らのすべてだった。

だからメリッサは電話でもっと近くに彼を感じたかった。アンディは手紙の中に自分の全部があると言ったけれど、メリッサは手紙こそ自分たちの癌だと言い捨てた。

もうこの頃から2人の間には埋められない溝が明らかになり、今後の人生も異なるものになるんだろうなと薄々感じ取れた。

着実に成功していくアンディに対して学校を退学になったり家族とうまくいかなかったり、破綻していくメリッサ。助けて、会いたい、今どうしてるのという思いをリアルタイムで受け止めてほしかったのは当然メリッサの方だろう。

 

2人が面と向かっても愛し合えるようになったのはもうずっと年を取ってからだ。だけどそれはあまりにも遅くて、どこかへ逃げることなど不可能だった。

アンディには家庭があり、政治家としても重要な時期だった。選挙が選挙が・・・とうめく彼は身動きが取れなかった。不倫の関係はあっけなく終わりを迎え、アンディは選挙で勝利を収める。それに伴うように悪化するメリッサの心の病。

 

アンディは明らかに様子のおかしい彼女に気づきもう一度会おうとするもののそれは逆効果だったのかもしれない。メリッサは会いたくない、1人にしてと逃げる。そして人生を終わらせると手紙に残し、少しの間が空く。アンディが彼女の母に宛てた最後の手紙によって、あっけなく彼女の命の灯は消えてしまったことを私たちは知らされる。

 

これまでになく感情をあらわにして読まれた最後の手紙でアンディの喪失感と愛をひしひしと感じた。

しくしく泣いてしまったけど、そんなに深刻に悲しくはならなかった。

それは2人が相手を確かに愛していると通じ合えたことを知れたからだ。メリッサさんを愛したように誰も愛したことがないし、これからも愛することはないでしょう。そう綴ったアンディ。彼はこれからも妻や子どもたちと人生を歩むのだけど、それでも彼の中心にメリッサがいるならそれはメリッサにとって救いであると思うんだ。

これからどう生きようとアンディが声を振り絞った時だったと思う。メリッサがふっと彼の方を向き大丈夫よアンディ、と優しく優しく言った。その時の彼女の表情ときたら・・・これまでで1番の穏やかさだったしきらきらと輝いていた。

 

もうひとつ私が前向きにこの舞台を受け止めることができたのは、演技が終わり役者さん2人が礼をされた時どちらも笑顔だったからだ。やり切ったんだ、と胸にじんときた。

植田さんが藤原さんの手を取り、2人は会釈し捌けていった。このとき私はまだ彼らをアンディ、メリッサに重ねて見ていたため、今は2人一緒で幸せじゃん!?よかった・・・仲良くやってね・・・という感じで見送った。

しばらく役としての彼らから抜け出せないほど2人は入り込んでいたのだ。

植田さんの生の演技を観るのは3か月ぶりだったが相変わらず素敵だった。少年期は少し世間とずれた愛らしい幼さが声ににじんでいた。青年期は少々ずれたところは残りつつも徐々に頭角を現し声に力が溢れていた。壮年期にはトーンが一段階変わり、20代の彼が演じているということを忘れてしまうほどだった。

印象的だったのは荒れるメリッサを優しく諭す時の声。ここだけはずっと変わらず愛情に満ちていた。

藤原さんはがっちりメリッサにはまっていた。強気で凜とした声は人生を通して変わることはなかった。しかしその中で若さが弾けていたり老いが言葉の端々に感じられたりと細かな違いを感じた。特に晩年は人生に対する絶望とアンディにすがる気持ちが声に乗っており、なんとか助けられないものかと目が熱くなった。

だからアンディの最後の手紙に口をぽつぽつと挟んでいくところはぐっときた。最初こそ懺悔する彼に対しもうやめてと涙声を訴える彼女であったが最後は魂の救いを目の当たりにしたようだった。

 

浮気が世間にばれて戸惑う彼女が私たちもし・・もし・・・と含ませた先にはきっと結婚があったと思う。

私も心の奥底ではそれを願っていた。そうしたら彼女はここまで心を病まなかったかもしれないし、手紙で彼に助けを求めなくてもよかったかもしれない。でもすべてはもしものことなので分からないままなのだ。アンディの言うように結婚しても1週間もたない可能性だってある。

彼らはこういう運命だったと受け入れるしかない。

それでも手紙をやめられなかったのは、離れられなかったのはアンディの言った絆で結ばれていたからだろう。それは結婚するとかそういうものではなくて、もっと形にできない深い愛だと思った。

互いに愛されたいともがいていたけれど、本当はずっと愛し合っていた。

 

人生の中の出来事をほとんどの場合、彼女と共にしているという感覚がありましたとアンディは言った。手紙の中の彼らは間違いなく彼ら自身であって、思い悩むことなんてなかったんだ。そうなんだよね、結局2人が実際に会っていた時間というのは生きているうちのほんの少しでしかないけど、2人は人生を共に送っていた。

ロビーにはこれまで演じてきたカップルたちのパネルが所狭しと飾られていた。演じたカップルの数だけ、それぞれのアンディとメリッサの人生があるんだろう。

その歴史を観続ける人になりたいなぁと思った2月の夜、今年の初現場の帰路であった。

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